September 17, 2007

Still sad, even sadder.
まだ悲しい。まだまだどんどん悲しくなるのかな。

8月31日に書いた、喜久里衛先生の沖縄での「お別れ式」に 参列してきました。

喜久里衛先生 お別れ式
2007年9月15日 
2:00pm-礼拝
2:50pm-3:30pm 献花
那覇市首里山川町 首里バプテスト教会にて 


私は時間のやりくりがつかず、献花だけの参列でした。
時間ぎりぎりに到着したのですが、参列者はまだまだ増え続けているという状態に、先生の人柄を感じました。
参列に連なっている間、ずっと賛美歌の奏楽や歌声が聞こえていたのですが、会堂に入る頃に、それが先生の演奏会のものであることがわかり、こらえていた涙があふれてきました。
会堂に入ると、映像も見ることができ、先生に近づいているという実感がわいてきましたが、それはそのまま、先生へのお別れです。 いただいた蘭を手向け、先生に「お礼とお別れ」を言いました。
献花台を離れる頃、演奏会の映像がはじめに戻りました。演奏会の最初で、ピアノ伴奏に合わせて演奏していらしたのが、バッハの「オンブラ・マイ・フ」でした。私も大好きな曲です。
"Ombra mai fu, di vegetabile, cara ed amabile soave piu, Ombra mai fu, ..."
演奏に合わせて、一緒に歌いました。先生と一緒に演奏できたようでうれしかった。

そのあと、参列者は、ご家族のところに進み、言葉を交わす流れになっていましたが、私は黙礼しながら列を離れました。 お目にかかったことのないご家族に、何と言葉をかけてよいかわからなかかったから。
みなさんはどんなお話をされたのでしょう。
出口近くに、先生のクリスチャンとしての歩みが、写真とともに紹介されていました。そして、愛用のアルトサックスも。
参列者は、一人で、またはお知り合いの方たちと、先生をしのびました。
先生の信仰に触れた今でも、私はやはり「どうして神様は先生をお召しになったのだろう」という思いでいっぱいです。 悲しいし、さびしい。
病院で患者として接したどのときでも、先生はいつも優しく、穏やかで、ときにユーモラスで、患者の思いを包み込むように接していらしたと思います。 ご自分の心身の状態がどうあれ、他の人にそうすることはとても難しいことだと思います。私も先生のように、他の人に接することができたらと思います。

今の悲しさ、さびしさも、時間とともにいえていくのだと思います。けれども、先生に出会ったしあわせ、先生への感謝は、ずっとずっと忘れずにいたいです。

先生との思い出1
私の子どもたちは、2人とも先生に性別を教えていただきました。最初のとき、絶対に女の子だと信じて疑わなかったのに男の子だったのがショック(今も尾を引いて13年近く…)で、先生とお話しながら滂沱の涙でした。

先生との思い出2
あまりの見舞い客の多さに、産後鬱になってしまった私に、「相手のことをおもいやりつつ自己主張すること」を教えてくださいました。アサーティブネスとの出会いでした

No comments: