あえてお名前を出させていただこうと思います。このブログを読んでくださる方の中には、私以外にも先生にお世話になった方がきっといらっしゃると思うので。
先生も「しょうがないですねぇ」っておっしゃって、許してくださるはず。ね?
大人の患者に、偉ぶらず、親身になって接してくれるお医者さんってどれくらいいるのかな?
喜久里衛先生は、その質問にまっさきに「いる!」とあげられそうなお医者さん。私がしばらく通った病院のお医者様でした。
沖縄でホスピスができつつあったときに、病院という枠組みを超えたワークショップやシンポジウムを開く活動をなさったり、ご自身が他県のホスピスに出て研鑽を積んだり。
人としてもお医者様としても、理想の方でした。
昨年、沖縄から他県のホスピスに移られたと伺っていましたが、久々で入ってきた「近況」は「闘病生活を送るからわらで、ホスピスでも仕事をなさっている」というものでした。そして、そんな中でも、生活のすべてをキリスト教の信仰の実践としておられると伺っていましたが。
8月22日に亡くなられたとのことです。
悲しくて悲しくて、訃報を受けたオフィスで泣いてしまいました。それから何日も経つのに、涙はまだおさまりません。
至らない私は、「この世の中で私たちのためにもっともっと生きて働いてほしかった」なんて思いました。
でも今は、私たちに「生き方」だけでなく「逝き方」まで示してくださったのかなと思います。
闘うお医者様・平岩正樹先生も、この10年、私の支えです。
そして今、喜久里衛先生も、「死がかならず訪れる存在」としての私の支えになると思います。
喜久里先生が、沖縄県内で勤務された病院のニュースレター3ページ目で紹介されています。
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